三浦久さん、斎藤明子さんより

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私の高校の大先輩でフォークシンガーの三浦久さんと、グリーン・ヒルズ小学校の時担任した子の保護者で、世界的なクラシックギタリストの斎藤明子さんより、CD発売に寄せてメッセージをいただきました♪
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「藤森敬一さんのニューリリースに寄せて」
フォークシンガー 三浦久

藤森敬一さんの歌を初めて聞いたのは、2003年10月23日、オーリアッドで藤森さんが友人とチャリティーコンサートを開いたときである。その時感じたことは、何て歌が上手いんだろう、何ていい声をしているんだろうということであった。

その時からほぼ10年が経ち、CD『森に抱かれて』を聞かせていただいた。その印象は10年前と変わらなかった。いや、正確には、10年前よりずっといいと思った。彼の歌声、特に高音は、以前にもまして、比類ないほど美しいと感じた。

しかし、このアルバムを聞いてぼくが最も感銘を受けたのは、彼の歌の上手さでも、声のよさでもなかった。歌に込められたメッセージである。彼の歌の本質はメッセージにある。彼の美しい歌声にうっとり聞きほれていると、秘められたメッセージを見逃してしまいかねない。

メッセージといっても大上段に振りかざして相手を攻撃する類のものではない。彼のメッセージは、彼が日常出会う人たち、特に弱い立場にある人たちとの交流を通して、学んだり気づかされたりした心の中の思いを、特定の人に向けて発したものである。

特定の人に向けられてはいるが、優れた歌が常にそうであるように、彼のメッセージには普遍性がある。このCDのすべての曲にそのことが言えるが、最後の曲「落葉」にそれが顕著に現れている。

それは、お父さんを看取った体験から、自分が死ぬときは「この体にただ命を延ばすため/管をつけないで痛みだけ止めて」ほしいという、おそらく奥さんや子供たちに向けての呼びかけであり、願いである。そしてその呼びかけは次のように続く―

僕が空高く旅立つ時には
君の手をこの手に重ねていて
あの葉が散るように恐れず逝けるから
君とつないだ手をそっと離して

この歌は、身近な家族に向けてのリヴィング・ウイルであると同時に、われわれ一人ひとりに、いや、高齢化、介護の問題に直面している日本の社会全体に向けられたメッセージである。

介護の問題は日毎に切実さを増している。家族の顔も名前も忘れ、暴れてはいけないとベッドに縛りつけられ、チューブで食べ物や薬を流し込まれ、糞尿にまみれて人生の最期を迎えたいと思っている人はいないだろう。誰もが「一枚の葉が静かに舞い落ちる」ように死を迎えたいと思っているはずである。

巷間、歌の上手い美しい声の歌手はたくさんいる。しかし、藤森さんのように、優しさに裏打ちされたメッセージを、これほどに美しく歌う歌手はそう多くはない。このCDには収められてはいないが、藤森さんには、長野県に嫁いだタンザニアの女性のことを歌った歌、20年ぶりの同級会で会った老教師への思いを歌った歌、砂漠化した大地を蘇らせたいと、中国に木を植えに行った体験を歌った歌など、優れた「メッセージ・ソング」がある。これらの歌も近い将来CD化してほしいものである。

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「『生きる』という大きなメッセージ」
クラシックギタリスト 斎藤明子

フォークを聴く醍醐味といえば、シンプルを極めた楽曲の上に際立つ、歌詞のメッセージ性の強さでしょう。

その点、藤森さんの世界は、独自の魅力を放っています。

藤森さんのメッセージは、まっすぐな視線でとらえ続けてきた、藤森さんの人生そのものなのです。人生の様々な場面が、一度聴いたら忘れられない透明感溢れる声とともに描き出されます。

そんな時間に身を任せているうちに、私はいつの間にか、私自身のこれまでの人生をかみしめ、これからの人生に思いを馳せ、そして今ここに在ることの喜びに浸っているのです。

さわやかな風が吹き抜けたあとに「生きる」という大きなメッセージが、ずっしりと心に残る。

そんな藤森さんの世界で、ご自分の人生をじっくりと味わい直してみませんか?

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素敵なメッセージをいただき身に余る光栄です!
ありがとうございました!!

今日、レコード会社より、CDは27日又は28日に自宅に届く予定との連絡が入りました。
楽しみです。